職人作家の独りごと

作家・佐伯泰英の日常を書き綴ります。

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故郷の災禍

平成28年 皐月

亡き両親の故郷熊本を大地震が襲った。最初は熊本県内の一部に留まるかと思っていたが、熊本から大分へと九州を横断して被害が広がりを見せている。大分は小説の主人公の出身の土地として使うことが多い。母から「うちの先祖は豊後やったと。ばってん薩摩にくさ、肥後に追い立てられたと」と聞いていた。江戸時代以前の話しだ。
直ぐに母方の従姉と従弟にそれぞれ連絡をとった。従姉は熊本県北部で震源地の近くだ。一度目の地震の折は風呂に入っていたそうだが、湯が湯船から飛び出したと冗談交じりに答えていた。二度目の電話の折は、「もはや家にはおられんと。車で寝るけん」と声が沈んでいた。
震源地辺りは、熊本でも米や西瓜の名産地だ。戦後母の故郷に疎開した折、菊池川を川船で渡った光景を鮮明に記憶している。戦火を免れた菊池や鹿本の美しい光景をもう一度見たいと思う。崩れ落ちた熊本城の完全に復旧した姿を見たいと思う。とにもかくにも余震が収まってくれなければ。
三週間経っても余震は続いている。

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花梨の実

平成28年 如月

娘が花梨の実を知り合いから頂戴したという。喘息の娘を気にかけてのことだ。
花梨と電話で聞かされても本物を見たことがない。想像するしかないが香りが強いそうな。
スペインで出会った画家たちはよく花梨を静物画に描いていた。また熱海の家の床材は花梨だ。その程度の知識では、花梨の実が生っている光景がどうしても思い浮かばなかった。
京都に一泊の旅をした。
早朝、用件を済ます前に五重塔で有名な東寺を訪ねた。観光客もまばらで団体客はいなかった。五重塔へと歩いていくと、遠くから木の枝に突き刺さったように三つ、黄色の実がついて見えた。その瞬間、私はなぜか花梨だと思った。娘は、「そんな?」と訝しげだったが、葉が落ちた枝の実はやはり花梨だった。人や物との出会いはこんな風にいっときにやってくるものか。奇妙な年明けだった。

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蜻蛉からの誘い

平成27年 霜月

十月から十一月、庭の落葉樹が紅葉し、散っていき、日に日に暮れなずむ刻限が早くなっていく。この時節が一番苦手だ。だれもがそうかもしれない。
二階にある仕事部屋の窓の下に先代の住人が植えたハナミズキがある。庭に突き出した外ベランダの東側だ。西側には金木犀が対になって立っている。
秋が深まるとハナミズキの葉が色付いて赤い実がなり、小鳥たちが啄みにくる。ふと見ると静止画でみるように蜻蛉が羽を休めていた。だが、生きていることを示して思い出したように透き通った羽を震わせる。
(秋が去りゆくな)
となんとなく季節の移ろいを感じた。蜻蛉が、
(旅に出ませんか)
と羽を震わせて飛んで行った。
(旅な、それもいいな)
そんなことを想わせてくれた一瞬の出会いだった。

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水撒き道楽

平成27年 葉月

格別に愛好するスポーツや道楽はない。
強いていえば旅か、と思ってみたが、この二年ほど旅行らしい旅行はしていない。
決まりきった日常のキリをつけるためにみかんの散歩、夕暮れどきの一杯のビール、そんなものだ。
ああ、夏の時期、必ずテレビで見るスポーツがある。
ツゥール・ド・フランスだ。二十日間余り、今年はベルギーがスタートでゴールは毎年決まってパリのシャンゼリゼ。この時節の夏のフランスの景色が素晴らしい。
また沿道の観衆の気まま勝手なこと、さすがに大人の国だ。
でも、それも終わった。
昨日、駅から乗ったタクシーには、運転手氏の自己紹介ボードがあった。
趣味、「工作全般」とあった。なにをするのか思いもつかない。質してみようかと思ったが、きっと理解がつくまいと思い、止めた。
他人から見れば趣味、道楽とはおよそそんなものだ。
ふと思い付いた。ビールを一杯やる前に行う芝生の水撒き、こいつが意外と楽しい。ということは夏限定の水撒きが「わが道楽」というわけか。

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薔薇が咲いた

平成27年 五月

東京のマンションが大規模改修に入り、ベランダにあった鉢植えの薔薇を熱海に移植することにした。
3・11の日まで夜になると照明に浮かび上がり、道行く人の嘆声が上がることもあったが福島原発事故以後、節電のためにライトアップは止めた。
移植といっても不器用な私の手におえる仕事ではない。これまで面倒を見てきた女性の薔薇専門家にお願いした。合計十数鉢の薔薇が他の植栽とともに熱海に運ばれてきた。
わが家の玄関口、オリーヴとレモンが交互に植えられた短冊形の土地に薔薇が加わることになった。マンションのベランダにあったときは、さほど数が多いとは思わなかったが、なかなかの数になっていた。
大規模改修に合わせての薔薇移植は時機を得たことだったようだ。
五月、わが家の玄関前に、ぱあっ、と華やかにも色とりどりの薔薇が咲き誇った。鉢植えから地植えになり、薔薇ものびのびしたようだ。幹も葉も急に育ったようで、玄関先の印象が変わった。

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移ろいゆく季節

平成27年 弥生

朝湯の折、窓から見る光景に季節の移り変わりを一番意識する。冬が過ぎて最初に目に飛び込んでくるのは白梅だ。この家を購ったとき、庭は荒れ放題だった。そこで庭を整備し直し、オリーヴ、白梅、紅梅などを植え増した。
さらに数年後、惜櫟荘の番人に就いたことで庭が広がり、常緑の松が主役になった。
白梅が春の到来を告げるように咲き、温泉の湯気の向こうで幻想的な景色を見せてくれる。凛とした白梅から艶やかな紅梅へ、さらには大島桜、染井吉野、山桜、しだれ桜へと移ろい、新緑の季節を迎える。松はこの季節だけは引き立て役に回る。
朝湯で筋トレとストレッチを行い、二十分余の「行」が終わったあと、湯船から眺める樹木と相模灘の景色ほど生きている瞬間を意識させるものはない。

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柘榴の話

平成26年 師走

熱海に住み始めて最初に庭木として植えたのがオリーヴであった。続けて思い付くままにレモン、梅、柘榴、木瓜など日本庭園としては、いささか取り合わせの欠いた木ばかりを選んで植えた。好みといえば好み、スペイン暮らしなどで馴染のあった樹木を加えた結果、なんとも不統一な庭造りになった。その上、東京のマンションが大規模改修するためにベランダの薔薇の鉢植えを熱海に移した。すると母屋玄関の庭は、オリーヴ、レモン、薔薇と地中海原産の「植物園」と化した。
2014年の秋、柘榴の実がそれなりに生った。たった一本の柘榴の木だが、かつてモロッコのマラケシュの市場で山積みされて売られていた柘榴の光景を想起させた。
ルビー色の柘榴の実に惹かれるのか、鴉が柿を食べたあとに口直しに突きにくる。鴉の襲撃を避けて柘榴が落ちた。まるで人の顔のようだった。

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葡萄棚を再築して三年目

平成26年 長月

葡萄棚を再築して三年目、今年は巨峰も甲州もよく実った。旧惜櫟荘には「女中部屋」と称された別棟を隠すために葡萄棚があった。惜櫟荘は修復保全の大事業を敢行したが、別棟は壊された。現代数寄屋の名手の建築家吉田五十八の設計とは関わりがないからだ。旧惜櫟荘時代の葡萄には時折猿が姿を見せて葡萄を食べていたが、この界隈で動物が出没するのは致し方ないことだ。それより葡萄棚に果実がなるのを愛でるほうがよいと、二本の葡萄の木を植えてもらった。新惜櫟荘の庭には、生り物が結構ある。まずオリーヴ四本、梅五本、柿二本、柘榴一本、山桃三本、レモン二本、夏蜜柑二本、それに葡萄二本というわけだ。どれも食べるわけではないが、なんとなく天災人災が見舞っても庭の生り物で生き抜けていけそうで安心だ。

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スリランカの海

平成26年 水無月

スリランカ旅行は、相変わらず朝日と夕日を見に行く旅になった。最後の訪問地はゴール。アジアとアフリカ、ヨーロッパを結ぶ城塞都市は十四世紀ころにはすでにアラビア商人の東方貿易地として栄えていたそうな。インド洋の突き出た砦の旧市街は、アラビア商人到来のあと、ポルトガル、オランダ、イギリス各植民地として栄えた痕跡を残している。小一時間もあれば砦が、つまりはいくつかの民族が去来した町が見物できる、そんなゴールに四泊した。ほとんど砦の中で過ごしたがゴールを旅立つ前日、城塞都市の東側の岬に行き、ゴールの全景を望遠した。
砦から見る海とは異なり、周辺の海は結構波荒く漁船が波にもまれていた。
2004年スマトラ沖で起こった大地震は津波を引き起こし、スリランカにも大被害をもたらし、ゴールの新市街に大きな被害を与えたという。だが、その津波にも負けず、ゴールの砦は幾多の民族の往来を刻みつけ、インド洋に楔を打ち込んだように力強く在った。

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二歳のみかん

平成26年 弥生

沼津から熱海峠を車酔いしながらも、車で連れてこられたみかんがわが家の一員になって二年が過ぎました。女の子なのにそう見られたことはありません。初対面の人が「あら、ぼくちゃん、いくつ」と男の子扱い。これは佐伯家飼犬の伝統でして、初代も二代目も牝なのに牡扱いを甘受してきました。みかんはアトピー性の皮膚炎が時に発症しまして、その折は全身が痒くて掻きまくり、舐めまくりで毛が抜け落ちるのでエリザベス・カラーを四六時中装着する羽目になります。またステロイド服用のせいで体力も落ち、内臓にも負担がかかるようです。首にエリザベス・カラーを付けられても薬の副作用にも健気に耐えています。この写真のみかんはアトピーが発症していないときの素顔でございまして、大変なワルです。ワルはワルでも可愛いワル柴です。と、まあ、飼い主バカ丸出しです。

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トドののたうち

平成25年 師走

朝湯の折、自己流筋トレ、柔軟体操を続けている。小さな旅館ほどの温泉の湯船だ、仰向けでバタ足が可能だ。トドののたうちと称する十五分ほどのエクササイズの他に石段坂道の多い熱海市内を歩き回っている。すると読者なのか、バスの運転手さんが挨拶してくれたり、声をかけたりしてくれる。過日も私が一心不乱に歩いている歩道脇に熱海周遊の湯遊バスが停車し、女性観光客の方々が窓を開けて挨拶された。どうやら運転手氏が「あのせっかちに歩く年寄が某時代小説作家」とでも教えたらしい。丁重に返礼して早歩きの散歩に戻った。ともかくトドののたうちと一日一万歩が私の健康法だ。
平成二十六年は午年、年男だ。干支ひと巡りを六度繰り返したことになる。江戸時代なら長命の楽隠居の身分(?)であったろう。だが、根が貧乏性、今年も創作活動を中心としたライフスタイルが続く。死ぬまでパソコンのキーボードを打てるように大型のキーボードを段ボール箱いっぱい買った。もはや大判のキーボードを使う人がいないらしく、なんと一台四百数十円だった。そんなわけで筆記具は確保した。新年早々に遺書でも書くか。遺書と葬式の仕度は頭がはっきりとしたうちにしておきたい。なんだか、新年早々に慌ただしいことになりそうだ。
熱海のわが庭の松の手入れ風景だ。命綱を付けた職人さんが崖地に生えた松を一本一本丁寧に抜いて揃える。松竹梅のランクでも松が上位、師走らしい景色でございます。

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野鳥の訪れ

平成25年 長月

敷地の中に狸が棲み、猿が出没する。歓迎すべからざるハクビシンも何匹も罠にかかるほどにいる。その他、野良猫が徘徊するがペット猫とは趣が違う。自然の中で生きているだけに勘が研ぎ澄まされ、動きも素早く爪も鋭い。飼犬は本能で相手の攻撃性を察知するのか、庭に入ってきても知らぬ振りをしている。
何年も前から野鳥にひまわりの種を毎朝やる習慣を始めた。野鳥たちも餌をやるのをどこかから見ていて次々に集まってくる。最初は庭園灯の上蓋に餌台を置いていたが、このところ餌を食べる野鳥二羽を立て続けに野良猫が捕食した。そこで餌台をオリーヴと梅の木の枝に吊るして野良ネコも飛びつけないようにした。
集まる野鳥はジョウビタキ、雀、キジハト、ウグイス、ゴジュウガラ、メジロの類だと思われる。ただしウグイスは声だけで姿を見せない。六十いくつかの誕生日、友人からバードウオッチング用の立派な単眼鏡を頂戴したが、庭に集まる野鳥はこちらを警戒する様子もなく二、三メートルに近付いても動じない、十分肉眼で楽しませてくれる。野鳥が餌のタネを敷地のあちらこちらにまき散らすせいで、ひょろりとした向日葵が年中敷地の中に咲いている。

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オリーヴの花

平成25年 水無月

以前、『オリーヴ荘の由来』の稿でオリーヴの木への想いを語った。植樹して九年余が過ぎて、幹元から七つに枝分かれしたオリーヴは高さ五メートル余と変わりないが、幹元は八十三、四センチに成長した。
今年の夏、花が満開に咲いた。風もないのに少し黄みかがった白い花がはらはらと落ちる光景はまるで雪が降るようだ。事実、木の下の庭石にはオリーヴの花が一面に積もっている。
その昔、アンダルシアの小さな村に住んでいたことがある。オリーヴ収穫期になる秋は村が一番活気づく。新酒(むろんワインのことだが)の季節とも重なり、私には堪えられない時節だった。あの当時、なぜか白ワインが好みで、オリーヴの実をつまみに何杯でもいけた。
青春というにはいささか遅まきのスペイン放浪時代の記憶が重なって、風に戦ぐ全山銀波のオリーヴ畑が脳裏をよぎった。経済危機にあえぐスペインを一時忘れて貧しくも長閑だった時代を思い出し、オリーヴの実を漬けてみるか。ともかく梅、オリーヴ、柿、柑橘類とわが庭の生り物は豊作(の予感)です。

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春はすぐそこに

平成25年 弥生

齢七十を超えても迷いが生じる、惑う。人間ができていないあかしだ。季節が巡り、桜の花が淡々と咲くように吾もそのように生きていけぬものかと思う。熱海の庭の大島桜は二月末に蕾が膨らみ、紅色が覗いている。あと数日で花を咲かせ よう。
この桜、実生から育った木で、昨年海側の庭を造園したとき、桜を中心に作庭するように真ん中に移植した。その桜がどのような咲きっぷりを見せてくれるか。そういえば最近のベストセラーのタイトルが『置かれたところで咲きなさい』だったか。植物はその環境に順応する。だが、人間はなかなかそうはいかない。ゆえにこの本がベストセラーになるのだろう。
今年の寒さは格別だ。それでも毎日、相模灘の海鳥たちの仕草を見ていると、春がすぐそこに来ていることを教えてくれる。もう少しの我慢だ。

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スパイス・ガーデン

平成24年 師走

アラビア海に面したゴア郊外にスパイス・ガーデンがあるというので見学に行った。オールド・ゴアからさらに離れたジャングルの中に大航海時代を誘因した香辛料の荘園はあった。ヨーロッパ人たちは肉の臭味を消し、料理に深みを加える香辛料の獲得のために海のルートを探し、リスボンから船出していったのだ。胡椒、シナモン、ジンジャー、ナツメグ、丁子、バニラなどを獲得した航海の果てに万金の富が得られた。そんな香辛料を栽培する荘園では、華やかな民族衣装の娘らが歌と踊りで迎えてくれた。ちょうどガイド付きのツアーが出るというので私たちの家族も入れてもらった。あれこれと香辛料が植えられている光景を見るのは初めての体験だった。小一時間のスパイス・ツアーの後、美味しい食事とスピリット酒までついて四百ルピー、およそ六百円程、貴重にして安価なものでした。荘園を流れる川で水浴びする象も幸せそうでした。

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三代目

平成24年 長月

そろそろビダの一周忌が近づいてくる。わが家にとって二代目の柴の牝犬だった。本日も知り合いから秋桜の花束がビダに供えてほしいと届けられた。
ご報告が一つ。三代目の柴牝犬が函南道路の峠越えをして沼津からやってきた。わが夫婦の年齢を考えてもう犬は飼うまいと思っていたが、我慢ができなかった。
名は伊豆にちなみ、みかんとした。顔立ちの整った仔犬のみかんだが、幼いころからアトピーを発症し、愛らしい瞼の周りが黒ずんで全身が痒いのか激しく掻き、首に漏斗のかたちをしたエリザベスカラーをはめ、手足に靴下やソフトクローは外せなかった。爪で掻き崩して体じゅうに傷をつけるからだ。それでもみかんは何か月も不自由を我慢して耐えた。幼犬にも拘わらずステロイド、アトピカ、抗生物質と薬漬けと検査漬け、動物病院通いが未だ絶えないものの、なんとか回復の兆候が見えてきた。それでも薬の量を減らすと症状がでてくる。生涯、アトピーとは付き合うことになりそうだ。でも三代目はやんちゃぶりを発揮して元気に飛び回っております。ついでに佐伯みかんちゃんの好物はみかんです。
墓石の周りに植えた五本の白萩も咲き始めた。

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建物と装丁

平成24年 水無月

十何年ぶりだろうか、ハードカバーの本を上梓する。縁あって私が譲り受けた岩波書店の別荘惜櫟荘の完全修復の過程をおいながら、これまで出会った先輩諸氏との思い出話を挟みこんだ内容だ。岩波書店六月刊行の『惜櫟荘だより』は、惹句にあるとおり『私の初のエッセイ集は文庫が建て、文庫が守った惜櫟荘が主人公の物語です』。
戦前、施主の岩波茂雄と建築家の吉田五十八が四つに組んだ現代数寄屋の代表作が蘇るまでの話である。時代小説を文庫書き下ろしで量産した作家が偶然にも出会った建築物との巡り合いは、新たなる人との出会いであり、同時に過去へ遡る旅でもあった。ふだん書いている時代小説とは一風異なるが、佐伯時代小説の原点ともなったスペイン時代のエピソードを交えつつ、楽しく書けたと思っている。現代数寄屋建築の名手と岩波書店の創立者の丁々発止に興味のある方は書店さんでぜひ手にとってみて下さい。また桂川潤氏の装丁が実にいい、活字本の愉悦です。一見の価値ありです。

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馬酔木の花

平成24年 弥生

二月に風邪を引き、三月に持ち越した。春は三寒四温というが今年は格別に雨と雪がこの熱海でも繰り返された。梅は蕾から花を咲かせたが例年より一月は遅かった。 そのせいか暖房の世話になる日も多かった。
三月十一日。冷雨の中に可憐な花を見付けた。
うす紅色の花はあしびだ。この愛らしい花にはアセボチンという有毒成分が含まれているとか。昔、馬が食べると酒に酔ったような状態になり、足が萎えるというので『足癈(あししび)』と呼ばれていたそうな、それを馬酔木と風雅な字にあて変えたという。
この日も朝から冷たい雨が降っていた。
東日本大震災から一年、長く重い三六五日だった。復興するには長い歳月がかかるだろう。 国民一人ひとりが倦まず弛まず半歩でも前に進むしかない。雨に濡れたあしびの花を見ながらそんなことを考えていると、一瞬微かな陽射しが差し込んできた。

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山と海と川の話

平成23年 師走

熱海では偶然出会った人に「どこに行くら」と尋ねると、「山ら」、「海に下りるだら」 と端的明快な返答が戻ってくる。海は言わずと知れた相模灘、山の代表は霊峰富士だが、 残念ながらわが家から見えない。過日、用事があって沼津に行った。そこで前々から見たかった柿田川に立ち寄った。東海道国道一号線の真下付近から湧き出す川はわずか一・二キロで狩野川に流れ込む。富士山に降った雪や雨が地下に浸み込み、三島溶岩流の間をぬけて沼津と三島の市境、清水町にぽっこりと湧き出てくるそうな。だが、以前から清き流れであったわけではない。工場排水で汚れた流れを柿田川みどりのトラスト運動で、市民たちが懸命に蘇らせたのだ。
湧き出る水を見物の人々が黙って見詰めている。
2011年、これほど多難な年があったろうか。そんな人々の想いを慰撫し、浄化してくれるように富士山の湧水がこんこんと湧き出て、人の手助けがなければ自然の営みは保たれないことを教えてくれた。

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熱海に氷雨が降っている

平成23年 霜月

湯の町に格言あり。「日本一桜は早く咲き、一番遅く紅葉は染まる」と。たしかに師走のうちに熱海桜が咲き始め、いったん桜の季節が中断して染井吉野が満開になる。さみだれ式に続く桜の季節はありがたみに欠けるようだ。熱海の紅葉の名所は山際の梅園だが色付くのは十一月も末になってから、一日の寒暖の差がさほどないせいで、京都の紅葉のように鮮やかでも華やかでもない。海際の紅葉はもっと悲惨だ。わが家の庭木のベストスリーは、松、椿、山桃と潮風に強いものばかりで、この地に居を構えた当初、色付く紅葉を愛でたくて庭師の親方と一緒に小田原の植木屋まで見に行き、一本を選んで移植した。だが、前述した気候条件のせいか、私が期待した紅葉にはほど遠く、ちりちりと葉っぱが縮れて、濁った色に変わって終わりだ。
その点、同じ時期に移植した柘榴はルビー色の実を付けて、ぱちんと音を響かせたと思えるくらいに景気よく弾け、中から小ルビーが色鮮やかに姿を見せた。今年いちばんの景色でした。

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サンマルタン運河

平成23年 神無月

日芸の映画専攻の学生が見せられる名画に『北ホテル』があった。たしか監督はマルセル・カルネだったと思う。遅い夏休みでパリを訪れ、運河めぐりのツアー船に乗った。
パリの北東から乗り込み、セーヌ河まで高低差二十数メートルを九つの閘門を経て、最後は二キロにわたるトンネルでセーヌ河バスティユ付近に出る。
『北ホテル』の舞台となったのがサンマルタン運河沿いの安宿だ。九つの閘門の中でも一番見どころの左岸に北ホテルは今もあった。建物も現存していたが、ただ今はカフェになっているとか。映画では貧しい人々が集い、悲喜こもごもの人生模様を織りなす北ホテルだったが、撮影された1938年からさらに歳月を加えて、運河と両岸の秋景色がなんともしっとりとしていい。パリの町中の散歩やセーヌの観光船も結構だが、運河めぐりも悪くはない。なにより乗合カップルのそれぞれの人生模様が窺えて、名優ルイ・ジューヴェの苦走った顔と乗客の一人がちらりと重なった。はい、こちらは娘が連れです。

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移ろう季節

平成23年 長月

台風十二号はえらく足の遅い台風で紀伊半島を中心に甚大な被害をもたらした。
相模灘から熱海港へと押し寄せる波は台風の日本列島通過前からどんどーんと護岸を揺らし、強い雨が数日間断続的に降り注いだ。わが庭から海に突き出した松の下まで波しぶきが上がり、私は何度となく海を見に行った。
台風が北に去ったあと、家族と老犬と一緒に東京に行った。一、二年前までは東京往復なんて格別なことではなかった。だが、こんどは後部席に設けた寝床の犬の様子を見ながらのドライブだった。台風の余波の曇り空だったせいか、車内の気温も上がらずなんとか無事に東京に着くことが出来た。
次の日、残暑に照りつけられながら渋谷の町で日課の一万歩をこなした。すると表参道のウインドウも秋模様。日陰を求めて明治神宮の森に避けたら、日本各地から献納された四斗樽にあたる木漏れ日も秋の陽射しだった。東日本大震災の被害に遭った醸造所の四斗樽を見てつくづく復興を願った、祈った。

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鳥の巣

平成23年 葉月

花見月の葉の陰に鳥が巣を作っているのを見つけた。
風呂場のすぐ傍らに巣作りしていることに私も女房も気付かなかった。巣の大きさからいって大きな鳥ではない。そおっと観察すると巣作りの最中か、卵が入っている様子もない。それにしてなんとも巧緻にして細密な巣の作り方ではないか。私はマドリード・リアリズム派の画家磯江毅(グスタボ・イソエ)の「鳥の巣」を想起した。写実を超えたとき、対象物がアートと変わる。折から磯江の追悼展が区立練馬美術館で催されているが、鳥がすごいのか、磯江の技術が迫真なのか、区別がつかない。
ともかく私たちは鳥の巣作りを邪魔しないように静かに過ごすことにした。だが、運悪く台風六号が襲来したこともあって、どうやら巣作りを途中で諦めた風があった。
なんとも惜しい。巣が完成して卵を産み、雛が誕生するまで遠目に見せてもらいたかったのに。未だ諦めきれないで鳥が戻ってくるのを待っている。

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蝉の鳴かない夏

平成23年 文月

家から初島と大島の島影がすっきりと見えるようになって梅雨が明けた。熱海に青空が戻ってきた。梅雨が明けて最初の日曜日、熱海は海開きだ。朝早くからサンビーチに海水浴を待ち望んでいた観光客の姿があった。浮き輪を腰にした裸族が駅からビーチへと下っていく光景も見られる。
「梅雨が明けたのに蝉の声もしないし、蝶も姿を見せない奇妙な夏」 と女房がいう。いわれてみればたしかに蝉の鳴き声がしない。

節電の夏、電力不足の夏というがそれでも夏は夏、陰鬱な梅雨空よりなんぼか心が晴れる。
夕暮れ、真鶴から東風が吹いてくる。風に乗って太鼓、鉦、笛の調べが響いてくる。例年7月15日、16日は熱海の総鎮守来宮神社の例大祭、こがし祭りと称される祭り囃子を稽古する調べだ。祭りの日には山車で町中を練り歩き、コンクールも行われる。
熱海の人々はこの祭りを楽しんで、裸族相手の夏の商いに精を出す。
ビールを片手に暮れなずむ相模湾の景色を見るのが私の一日の締め括り、至福の瞬間だ。

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徒然の日々

平成23年 水無月

「月刊佐伯」などという異名を奉られた作家の日々なんて実に単調のものだ。朝四時に起きて老犬の散歩前に一日分と決めたノルマの半分ほどを書く。残りは朝食ののち、二、三時間をかけて終わらせる。校正とか連載分のエッセイなどは午後に回す。そうすると昼食をはさんで午後三時過ぎにまた二回目の老犬の散歩が待っている。
最近よく訪ねる散歩コースは青紅葉が美しい熱海梅園だ。明治十九年(1886)に横浜の豪商茂木惣兵衛が初川沿いの谷間二・五ヘクタールを開いたのが始まりだそうな。皇室に献納されたり、大蔵省が所有したりしたあと、昭和二十九年に熱海市に無償で払い下げられた。
梅園には457本の梅があるが実を付ける梅は116本とか、今年は455キロの収穫があった。梅もぎ作業に出会ったが、スペインのオリーヴ摘みとよく似ていた。木の下にシートを敷いて竹棹で枝を叩いて揺すり落とす。そんな光景を老犬と飼い主はただ黙念と見ている。多事多難の折、これでいいのかという疑問もわかないこともないが、職人作家の一日なんておよそこんなものだ。

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櫟(クヌギ)の話

平成23年 皐月

庭に実生から育った櫟の古木がある。樹齢百年とはいかないまでもそれに近いだろう。幹はやせ細り、途中から九十度に曲がってごつごつと垂直に、あるいは下降し、次には捻じれて横へと枝を伸ばしている。
大きく幹を曲げた初代櫟の衰弱を心配していつ枯死してもいいようにと、前の所有者が二代目の櫟を隣に植えた。これは植木の親方に聞いた話だ。
「櫟はやくざの木でなんの役にも立たん。まるで俺のようだ」と言い放ったのも旧主だ。
相模灘に面して平地が少ない。予定された土地にはこの自生の櫟がでーんとあった。邪魔だというので大工が「切っちまえ、そうすれば庭だって広くなる」というのを聞いた旧主は「櫟を切るならばおれの腕を斬ってからにしろ。敷地の木は一本だって切ることを許さぬ」と啖呵を切ったそうな。櫟は建築用材として用途はあまりない。だが、薪炭材としては最高の品質で立派に社会貢献をしている。
東日本を襲った大地震と津波の今年も櫟が若葉を茂らせた。

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山桜咲いた

平成23年 卯月

江戸中期の俳人小西来山に「見返れば 寒し日暮れの 山桜」という句がある。本居宣長の「朝日に匂ふ山桜花」の景色も悪くないが、白い花びらの山桜が似合うのは日暮れかもしれない。
東日本という広域を襲った地震群と津波、そして原発災害。世相が暗い、寒い。
せめて平静の暮らしを守りぬくと己に命じた。
朝の3時か4時に起きて原稿を書く。私の小説は五章立て、一章が四節だ。毎日一節を書く、それが職人作家の務めだ。年中無休だから二十日余で一作を書き上げる。被災に遭った書店さんや読者のことを想像しながら書く。
わが庭に実生から育った山桜がある。災害からおよそ22日目、白い花が開いた。寂しさの中に苦難にもめげぬ強さが垣間見える。
被災地にも桜の季節が巡りくる。
「災害の 年こそ咲けや 山桜」

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二つの海

平成23年 弥生-2

わが庭に白椿(白玉というそうな)が咲いた日の昼下がり、熱海が地震に揺れた。
振幅の大きな揺れで長くゆらゆらと続いた。地震が尋常でないことはすぐに知れた。二階から階段を飛び下りて、老犬を抱き上げた。テレビを点けると津波予想情報が出ていて、6mと表示してあった、そんな馬鹿な。二階に戻り、海を見ると初島からフェリーが速度を落とし、湾内に入ることを躊躇うように停船した。奇妙に静かな相模灘だった。だが、テレビは東北地方の深刻な状況を伝え始め、気仙沼港に押し寄せる津波の映像をライブ放送した。何百年もの人間の営みの時間を根底から破壊する映像だった。眼前の海では漁船やクレーン台船が港を離れて、その時を静かに待ちうけていた。圧倒的な力で暴れ狂う海、森閑とした相模湾。映像と現実の狭間で心が激しく揺れた。
東北関東大地震にすべてを失い、打ちのめされた被害者の皆様、あなた方と共に私はありたい。今できることをやりたい。

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オリーヴ荘の由来

平成23年 弥生-1

もし土地付きの家を所有できたらオリーヴの樹を庭に植えようと夢見てきた。
アンダルシアに住んで闘牛の取材に明け暮れてきた若い日々の思い出に敬意を表してのことだ。運よく仕事場を熱海に得たとき、この願いを早速実行に移した。
だが、アンダルシアでごく普通に見かけられる、幹が大人の両腕一抱えもあり、捻じ曲がるほどひねこびた大木を見つけることは出来なかった。それでも四人の植木職人が汗だくで滑車を使って庭まで引き上げる大作業になった。オリーヴ(トップの樹影がそうです)を植えた家を、ご大層にもオリーヴ荘と名付けた。移植して八年、幹回り76センチ、樹高4~5メートルの立派な樹へと成長した。毎秋たくさんの実がなるがまだ食したことはない。スペイン人の友が「オリーヴの漬け方をおれが教えてやる」というがいささか面倒くさい。熱海では梅と桜が同時に咲く。二月になると陽射しが軽やかにも強くなる。浜辺で遊ぶ鳥たちもなんとなく南に向って並んでいる。本式の春はもう間近だ。

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写真

狸のくる家

平成23年 如月

熱海の海岸地帯に雪が降るのはめずらしい。
それでも冬の時期、寒い日がつづく。そんな夕暮れ、庭に狸が姿を見せた。わが家近くに老舗ホテルの広大な敷地が残され、鬱蒼とした森を呈している。この敷地、野鳥や小動物の楽園と聞かされていた。事実、去年の三月、雪がちらついた朝、小狸が温泉管にまたがり、暖をとる光景に遭遇した。だが、まさかわが庭までご出張とは驚きだ。次の夕暮れ、りんごを四つに切り分けて梅の古木の下においておくとお約束ですという顔で、太った狸が姿を見せて、屋内に待ちうける私と女房をひと睨みしてりんごを食べ始めた。狸は犬科とか、犬好きにはなんとも堪えられない動物の訪問だ。三日目は明らかに別の小ぶりのお狸様がお出ましになった。その翌日は休み、五日目もなかなか姿を見せなかった。私が深夜一時過ぎに目覚めた時、二階からふと梅の木を見下ろすと初日に見たと同じ太った狸がおりました、はい。狸観察の日々がつづきそうです。

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